第二次世界大戦・太平洋戦争で使用された特攻兵器を一覧で紹介します。
特攻兵器は、自身の命を犠牲にする特攻を目的として開発、または既存の兵器を改装した兵器のことを指します。
日本の陸海軍は、太平洋戦争末期に戦局が劣勢となったため、戦局を打開する目的で、体当たり攻撃や自爆攻撃を行う特攻兵器を開発しました。これらの兵器は水中や空中で使用されました。
特別攻撃隊は、体当たり攻撃を行うために編成され、”神風特攻隊”などと呼ばれました。航空特攻は、飛行機に爆弾を装着して体当たり攻撃を行うもので、海上特攻は、特殊潜航艇や人間魚雷などを使用して行われました。これらの特攻兵器は、自身の命を犠牲にすることを前提とした戦術であり、戦争の悲惨さを象徴する存在となっています。
ここでは特攻に使われた様々な兵器(機体)を紹介していきます。
第二次世界大戦で特攻に使われた兵器一覧
回天
回天(かいてん)は、太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり、日本軍初の特攻兵器である。
「回天」という名称は、特攻部長大森仙太郎少将が幕末期の軍艦「回天丸」から取って命名した。開発に携わった黒木博司中尉は「天を回らし戦局を逆転させる(天業を既倒に挽回する)」という意味で「回天」という言葉を使っていた。秘密保持のため付けられた〇六(マルロク)、㊅金物(マルロクかなもの)、的(てき)との別称もある。出典:Wikipedia
海龍
海龍(かいりゅう、海竜)は、大日本帝国海軍の特殊潜航艇の一種で、敵艦に対して魚雷若しくは体当りにより攻撃を行う二人乗りの有翼特殊潜航艇・水中特攻兵器である。終戦により、本土決戦が回避されたため実戦に投入されることはなかったが、海龍が攻撃された例はある。出典:Wikipedia
梅花
梅花(ばいか)は大日本帝国海軍が太平洋戦争中に計画した特殊攻撃機である。特攻兵器として1945年(昭和20年)7月より開発を開始したが、設計途中で終戦となった。出典:Wikipedia
神龍
大日本帝国海軍が太平洋戦争中に試作した特別攻撃機。直線を多用した木製のグライダー型飛行機。
実戦投入前に終戦の日をむかえたため、特に戦果はない。8月15日の終戦までに製造されたのは試作機4機で、終戦後の8月20日に完成した5号機を含めても計5機のみだった。出典:Wikipedia
伏竜
伏龍(ふくりゅう)は、第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))末期の大日本帝国海軍による特攻兵器のひとつ。「人間機雷」とも呼ばれる。潜水具を着用した兵士が浅い海底に立って待ち構え、棒付き機雷を敵の上陸用舟艇に接触させ爆破するという特攻戦法のこと。
潜水具を着用し棒付き機雷を手にした兵士により、本土決戦における水際撃滅を狙った特攻兵器として、1944年に開発された。途中で終戦をむかえたため、伏龍が実戦に投入されることはなかった。出典:Wikipedia
震洋一型艇
震洋(しんよう)は、第二次世界大戦の日本海軍の特攻兵器。秘秘匿名称は特攻兵器として四番目であるため「㊃金物」(マルヨンかなもの)、㊃艇(マルヨンてい)。小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に約250kgの炸薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦、目標艦艇に体当たり攻撃を敢行する。出典:Wikipedia
四式肉薄攻撃艇
四式肉薄攻撃艇(よんしきにくはくこうげきてい)は、第二次世界大戦時に大日本帝国陸軍が開発・実戦投入した小型肉薄攻撃艇。略称はマルニ(〇の中に「ニ」か「に」と表記)、秘匿呼称は連絡艇(れんらくてい)。また、〇の中に「レ」か「れ」を書いたマルレ、マルレ艇の通称で広く知られる。マルレは主に海上挺進戦隊に配備された。 1944年(昭和19年)8月12日、大本営陸軍部と海軍部は、陸軍特攻艇「マルレ」と海軍特攻艇「震洋」を統合運用することが有効と認め、両者を「マル八」と呼称することに決定した。出典:Wikipedia
タ号試作特殊攻撃機
名前の由来は竹槍に因み、頭文字の「タ」の字をとって名付けられた。本土決戦におけるゲリラ的運用を想定した物で、特殊攻撃機となっているが、実質的に爆弾を装備し近海沿岸の敵艦船に体当たりして自爆攻撃する為の特攻機であった。出典:Wikipedia
桜花
日本海軍が太平洋戦争中に開発した特殊滑空機。特攻兵器として開発され、実戦に投入された。「桜花」は機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器で、母機に吊るされて目標付近で分離し発射される。その後は搭乗員が誘導して目標に体当たりさせる。出典:Wikipedia
剣
キ115 「剣」(つるぎ)は、第二次世界大戦末期に日本陸軍が開発した航空機。特攻兵器のひとつ。剣は帝国陸軍における名称。帝国海軍では「藤花」(とうか)の名称で呼んだ。終戦までに105機完成し、実戦には使われず終戦を迎えたとされるが1945年3月末に壬生飛行場から剣による特攻出撃があったという証言もある。出典:Wikipedia
隼 – キ43 一式戦闘機
一式戦闘機(いっしきせんとうき、いちしき-)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦、一戦、ヨンサンなど。四式戦闘機「疾風」(キ84)とともに帝国陸軍を代表する戦闘機として、太平洋戦争(大東亜戦争)における主力機として使用された。戦争末期には特別攻撃隊が運用する特攻機としても多用されている。出典:Wikipedia
零式艦上戦闘機
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は第二次世界大戦期における大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん、れいせん)の名称で知られている。1944年10月20日最初の神風特別攻撃隊が編成され、それ以降も終戦まで零戦は特別攻撃隊に使用された。出典:Wikipedia
飛燕 – キ61 三式戦闘機
三式戦闘機(さんしきせんとうき)は第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。試作名称であるキ番号はキ61。制式名称である三式戦闘機。
愛称は飛燕(ひえん)。呼称・略称は三式戦、ロクイチなど。1944年11月7日、陸軍は航空機による体当たり部隊を編成、これは震天制空隊と呼ばれた。出典:Wikipedia
九七式艦上攻撃機
九七式艦上攻撃機(きゅうななしきかんじょうこうげきき)は日本海軍の艦上攻撃機
日本海軍としては、初の全金属製の低翼単葉機であり、一号型は国産単発機初の引込脚を採用。それまでの九六式艦上攻撃機に比べ、最高速度は約100km/hも向上した。乗員は3名。
マリアナ沖海戦までは空母で運用され、後継機の天山が登場してからは主に陸上基地機として、レーダーもしくは磁気探知機を追加装備して対潜哨戒や輸送船団護衛にも就いた。
大戦末期には一部が特攻に出撃している。出典:Wikipedia
以上、特攻に使われた兵器一覧を紹介しました。特攻兵器は、戦況を覆すために実戦投入されましたが、その効果は一時的なものでした。人命を軽視するこのような兵器は、日本の歴史において汚点として残っています。戦時下での精神状態は、平和に慣れ親しんだ現代の日本人には理解し難いかもしれません。悲惨な戦争を繰り返さないように、平和に貢献していく気持ちを大切にしたいですね。
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