本所七不思議の一覧 – ストーリーと地図 – 本所七不思議のお話

本所七不思議の一覧 - ストーリーと地図 - 本所七不思議のお話 ミステリー
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本所七不思議(ほんじょななふしぎ)は、東京都墨田区の本所に江戸時代から伝わる奇談・怪談のことを指します。これは江戸時代の典型的な都市伝説の一つで、古くから落語などの話のネタとして庶民の好奇心をくすぐり親しまれてきました。いわゆる「七不思議」の一種であり、伝承によって登場する物語が一部異なるため、9種類以上のエピソードが存在します。

ここでは、本所七不思議のストーリーと地図を紹介していきます。

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本所七不思議の一覧

  1. 燈無蕎麦(あかりなしそば)
    別名「消えずの行灯(きえずのあんどん)」
  2. 片葉の葦(かたはのあし)
  3. 狸囃子(たぬきばやし)
    別名「馬鹿囃子(ばかばやし)」
  4. 置行堀(おいてけぼり)
  5. 落葉なき椎(おちばなきしい)
  6. 足洗邸(あしあらいやしき)
  7. 送り拍子木(おくりひょうしぎ)
  8. 送り提灯(おくりちょうちん)
  9. 津軽の太鼓(つがるのたいこ)

本所七不思議のひとつ「送り提灯」は、「送り拍子木」の拍子木が提灯になったのみで、同様の怪異とされています。

本所七不思議の地図

 

本所七不思議のストーリー

出典・参考:ウィキペディア(Wikipedia)

 

燈無蕎麦 – あかりなしそば

別名「消えずの行灯(きえずのあんどん)」

江戸時代、東京の本所地区。南割下水付近の静かな夜道に、二八蕎麦の屋台が立っていました。しかし、その一つは他の屋台とは異なり、店主の姿が見えず、行灯の火が消えていました。

町の人々は、その屋台について囁き合っていました。その屋台に立ち寄ると、必ず何か不幸が起こるという噂が広まっていました。行灯に火をつけると、家に帰ってから必ず何か悪いことが起こると言われていました。

その屋台には、さらに奇妙な現象がありました。それは、「消えずの行灯」と呼ばれるもので、誰も給油していないのに、行灯の油が一向に尽きず、一晩たっても燃え続けていました。

その屋台の正体については、さまざまな噂がありました。中でも、タヌキの仕業だという説が囁かれていました。歌川国輝による浮世絵『本所七不思議之内 無灯蕎麦』には、この説に基づき、燈無蕎麦の店先にタヌキが描かれていました。

それ以降、町の人々はその屋台を避けるようになりました。そして、「燈無蕎麦」の話は、本所七不思議の一つとして、町人たちの間で語り継がれることとなりました。それは、本所地区の恐ろしい伝説として、今もなお語り継がれています。

片葉の葦 – かたはのあし

江戸時代、東京の本所地区。そこには美しい娘、お駒が住んでいました。彼女の美しさは近隣で評判で、特に近所に住む男、留蔵は彼女に夢中でした。しかし、お駒は留蔵の愛情に応えませんでした。これに怒った留蔵は、ある日、お駒が外出した際に彼女を追いかけました。

留蔵は隅田川からの入り堀にかかる駒止橋でお駒を待ち伏せしました。そして、彼はお駒を襲い、彼女の片手と片足を切り落とし、彼女を殺害しました。その後、彼はお駒の体を堀に投げ込みました。

その日から、駒止橋付近の堀の周囲に生い茂る葦は、何故か片方だけの葉しか付けなくなりました。これは、お駒の霊が葦に宿り、その姿を示しているのかもしれません。

それ以降、「片葉の葦」の話は、本所七不思議の一つとして、町人たちの間で語り継がれることとなりました。それは、本所地区の恐ろしい伝説として、今もなお語り継がれています。

 

狸囃子 – たぬきばやし

別名「馬鹿囃子(ばかばやし)」

江戸時代、東京の本所地区。そこには深夜になると、どこからともなく笛や太鼓の音が聞こえてくるという奇妙な現象が起こりました。この音は、まるで遠くの祭りの囃子が聞こえてくるかのようでした。

しかし、その音の源を探しに行くと、音は逃げるように遠ざかっていき、音の主は絶対に見つけることができませんでした。音を追い求めているうちに夜が明け、見知らぬ場所に迷い込んでしまうこともありました。

この現象は「狸囃子」と呼ばれ、本所七不思議の一つとして語り継がれています。その名の通り、この現象はタヌキの仕業とも言われていました。音の聞こえたあたりでタヌキの捜索が行われたこともありましたが、タヌキのいた形跡は一度も発見されませんでした。

それ以降、「狸囃子」の話は、本所地区の恐ろしい伝説として、今もなお語り継がれています。

 

置行堀 – おいてけぼり

江戸時代、東京の本所地区は水路が多く、魚が豊富に釣れる地域として知られていました。ある日、仲の良い町人たちが錦糸町近くの堀で釣りを楽しんでいました。その日は特に魚がよく釣れ、皆は大いに盛り上がっていました。

しかし、夕暮れ時になり、皆が帰ろうとしたとき、突然、堀の中から「置いていけ」という恐ろしい声が聞こえてきました。その声は深淵から響き渡るようで、皆は恐怖に駆られました。

一人の男、町人の中でも特に勇敢だと自負していた者は、すぐに魚籠を堀に投げて逃げ出しました。しかし、彼の友人は魚籠を持ったまま逃げようとしました。その瞬間、水の中から手が伸びてきて、友人を堀に引きずり込んでしまいました。

男は友人が気がかりになり、恐怖に駆られながらも、友人を助けようと堀に戻りましたが、すでに遅く、友人の姿はどこにも見えませんでした。

その日から、その堀は「置行堀」と呼ばれるようになりました。そして、その怪異の話は町人たちの間で広まり、本所七不思議の一つとして語り継がれることとなりました。

それ以降、夜になると町人たちは堀を避けるようになり、誰もが「置行堀」の名を聞くと顔色を変えるようになりました。それは、本所地区の恐ろしい伝説として、今もなお語り継がれています。

 

落葉なき椎 – おちばなきしい

江戸時代、東京の本所地区。そこには平戸新田藩松浦家の上屋敷がありました。その敷地内には、見事な椎の銘木が立っていました。しかし、この木は一枚も葉を落としたことがありませんでした。

この現象は、松浦家の人々を不安にさせました。木が葉を落とさないというのは、自然の摂理に反していました。家族は次第にその木を恐れ、屋敷を使わなくなりました。

しかし、その木は依然として葉を落とさず、季節が変わっても常に緑の葉を保ち続けました。その異常な様子は、町人たちの間で噂となり、人々はその木を避けるようになりました。

それ以降、「落葉なき椎」の話は、本所七不思議の一つとして、町人たちの間で語り継がれることとなりました。それは、本所地区の恐ろしい伝説として、今もなお語り継がれています。

そして、その椎の木は今でも、葉を一枚も落とさずに立っていると言われています。

 

足洗邸 – あしあらいやしき

江戸時代、東京の本所地区。三笠町にある旗本、味野岌之助の上屋敷で、不可解な現象が起こっていました。

毎晩、静寂を破るような音が天井裏から響き渡り、その後には「足を洗え」という低く響く声が続きました。その声の主は、天井を突き破って、剛毛に覆われた巨大な足を下ろしました。家人たちは恐怖に震えながら、その足を洗いました。すると、足は静かに天井裏に消えていきました。

しかし、この怪奇現象は毎晩繰り返されました。足を洗わないと、足の主は怒り、家中の天井を踏み抜いて暴れました。

この恐怖に耐えられなくなった味野は、同僚の旗本にこの事態を打ち明けました。同僚は興味津々で、上意(主君・上位の者や政府の意向・命令)の許を得て上屋敷を交換しました。しかし、同僚が移り住んだところ、足は二度と現れませんでした。

それ以降、「足洗邸」の話は、本所七不思議の一つとして、町人たちの間で語り継がれることとなりました。それは、本所地区の恐ろしい伝説として、今もなお語り継がれています。

また、本所七不思議の一つである「置行堀」の正体がタヌキであるという話がありました。そのタヌキが足洗邸で同様の怪異を起こしたという噂もありました。

本所七不思議の一つ、「置行堀」の正体がタヌキであるという話が町人たちの間で囁かれていました。そのタヌキが人間に捕えられ、瀕死の重傷を負っていたとき、小宮山左善という通りすがりの男が哀れに思い、金を与えてタヌキを救いました。

その夜、タヌキは女の姿に化けて左善の枕元に現れ、左善の下女が悪事を企んでいると忠告しました。しかし、左善はその警告を無視し、後に下女の恋人の浪人に殺害されてしまいました。

数日後、左善の一人息子の膳一のもとにタヌキが現れ、真相を教えました。膳一は父の仇を討つために挑みましたが、敵は強く、逆に追いつめられてしまいました。しかし、その時、タヌキが左善の姿に化けて現れ、膳一を助けました。膳一はタヌキの助けを借りて、ついに仇を討つことができました。

それ以降、家に凶事が起こるときは必ず、天井から足が突き出るようになりました。それは、タヌキが家族を警告するための前触れだったのです。

送り拍子木 – おくりひょうしぎ

ある晩、江戸時代の本所地区。割下水付近の静まり返った夜道を、一人の夜回りが歩いていました。彼は「火の用心」と唱えながら拍子木を打ち、その音が静寂を切り裂いていました。

しかし、彼が拍子木を打ち終えたとき、何かがおかしいことに気づきました。打ち終えたはずの拍子木の音が、同じような調子で繰り返し聞こえてきたのです。その音は、まるで自分を送っているかのように、彼の後ろから響いていました。

彼は背後を振り向きましたが、誰もいませんでした。ただ、その拍子木の音だけが、彼を追いかけるように響き続けていました。

彼は、静まり返った町中に拍子木の音が反響しただけだと自分に言い聞かせました。しかし、その後も雨の日には、拍子木を打っていないのに、その音が聞こえてきたという話を耳にしました。

それ以降、夜回りの者たちは、夜道を歩くときには必ず背後を警戒するようになりました。そして、「送り拍子木」の話は、本所七不思議の一つとして、町人たちの間で語り継がれることとなりました。それは、本所地区の恐ろしい伝説として、今もなお語り継がれています。

 

送り提灯 – おくりちょうちん

ある晩、東京の本所地区で、一人の男が深夜まで仕事をして家路についたときのことでした。彼は提灯を持たずに、暗い夜道を歩いていました。

突然、彼の前に提灯のように揺れる明かりが現れました。その明かりは、まるで人を送って行くように、彼の前を照らしていました。彼はその明かりを目指して進みました。明かりがあれば、夜道も迷わないと思ったからです。

しかし、彼が明かりに近づくと、不意に明かりが消えました。彼は驚き、周囲を見渡しましたが、何も見えませんでした。そして、やがて明かりが再びつき、彼は再びその明かりに向かって進みました。しかし、再び明かりが消え、これが繰り返されました。いつまで経っても、彼はその明かりに追いつくことができませんでした。

彼はその夜、家に帰ることができず、明け方まで夜道を彷徨いました。その後、彼はその怪異の話を町人たちに語りました。そして、その話は「送り提灯」として、本所七不思議の一つとして語り継がれることとなりました。

それ以降、夜道を歩くときは必ず提灯を持つようになった町人たち。そして、誰もが「送り提灯」の名を聞くと、顔色を変えるようになりました。それは、本所地区の恐ろしい伝説として、今もなお語り継がれています。

 

津軽の太鼓 – つがるのたいこ

江戸時代、東京の本所地区。そこには弘前藩津軽越中守の屋敷がそびえ立っていました。その屋敷には火の見櫓があり、通常ならば火災を知らせるために板木を鳴らすのが一般的でした。しかし、この屋敷の櫓には、なぜか板木の代わりに太鼓がぶら下がっていました。

火事の際には、その太鼓が鳴らされ、その音は本所地区全体に響き渡りました。しかし、なぜこの屋敷の櫓だけが太鼓だったのか、その理由は誰も知りませんでした。それは、まるで太鼓の音が火の危険を告げる警告のようにも聞こえました。

また、越中守屋敷の火の見櫓の板木を鳴らすと、不思議なことに太鼓の音がするという話もありました。その音は、深夜の静寂を切り裂くように響き渡り、人々を驚かせました。

それ以降、「津軽の太鼓」の話は、本所七不思議の一つとして、町人たちの間で語り継がれることとなりました。

 

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