草薙の剣
【くさなぎのつるぎ】
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも呼ばれる神剣。
三種の神器の一つ。熱田神宮にある本体と、皇居にある形代の2つがある。日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内(尾)から見つかった神剣とされる。出典:Wikipedia
九字兼定
【クジカネサダ】
和泉守藤原兼定作。裏銘(日本刀の製作者の銘を彫ってある面の裏側にある銘)に『臨兵闘者皆陣列在前』とある刀。出典:Wikipedia
蜘蛛切
【くもきり】
源頼光が持っていた刀。元は膝切と呼ばれていたが、土蜘蛛を退治したことから名を蜘蛛切と改めた。出典:Wikipedia
小烏丸
【こがらすまる】
平家に代々伝えられた名刀。「鋒両刃造」(きっさきもろはづくり)と呼ばれる造りとなっており、鋒(切先とも、刀身の先端部分を指す)が両刃となった独特の造込みとなっている。出典:Wikipedia
小狐丸
【こぎつねまる】
一条天皇から守り刀を作るよう命ぜられた橘道成は、京の名工として知られる三条宗近に作刀を依頼した。しかし、宗近は満足のいく刀を打てず困り果て、氏神である稲荷明神に詣でて祈願しようとした道中に童子と遭遇し、童子は「安心してください。私が相槌を打ちましょう。」と言うと消え去ってしまった。宗近は不思議に思いながらも作刀の準備を始めると童子に化けていた稲荷明神が現れて、宗近と共に太刀を作った。完成した太刀を見ると素晴らしい出来合いであったため、宗近は「小狐丸」と名付けたとされる。出典:Wikipedia
髭切
【ひげきり】
平安時代、源満仲は天下守護のために髭切と膝丸の2腰の剣を作らせた。筑前国三笠郡の出山というところに住む異朝(唐国)の鉄細工が八幡大菩薩の加護を得て膝丸と揃いで作った二尺七寸の太刀とされている。満仲が有罪の者を切らせたところ、髭まで切ったことから髭切と名付けた。 髭切はその後、満仲の嫡子である源頼光の代には配下の渡辺綱に貸し出され、綱が一条戻橋で鬼の腕を斬り、名を鬼丸と改められた。出典:Wikipedia
丙子椒林剣
【へいししょうりんけん】
大阪府大阪市の四天王寺が所有する7世紀作の直刀である。日本の国宝に指定されている。
同じく四天王寺に伝わる七星剣とともに聖徳太子の佩刀と伝えられる。
「丙子椒林剣」という名称の由来は、腰元の平地に隷書体の「丙子椒林」の4字が金象嵌で表されていることによる。
「丙子椒林」の解釈には諸説あるが、「丙子」は作刀された年の干支、「椒林」は作者と解釈されるのが一般的である。
この時期の上古刀としては現存する最高の出来であるとされる。出典:Wikipedia
七星剣
【しちせいけん】
中国の道教思想に基づき北斗七星が意匠された刀剣の呼称。
破邪や鎮護の力が宿るとされ、儀式などに用いられた。七星刀、七星宝刀ともいう。出典:Wikipedia
四天王寺所蔵の七星剣
四天王寺所蔵の七星剣は、長さ62.1cm、切刃造りの鉄剣。国宝。
名前の由来は、北斗七星が描かれていたことによる。
七星文の他には雲形文・三星文・竜頭・白虎などが描かれている。
丙子椒林剣とともに、聖徳太子の佩刀であるが、少なくとも鎌倉時代から錆身で拵えもなくなっている。
法隆寺の銅七星剣(七星文銅太刀)
七曜剣、七曜御剣とも称される。七星文の他には雲形文・日・月が描かれている。
かつては法隆寺金堂の持国天像の手にあり、聖徳太子の幼少期の守り刀であったと伝わる。
増長天像の剣(無文銅太刀)と同様に銅剣である。
正倉院の呉竹鞘御杖刀
【くれたけさやのごじょうとう】
七星文の他には雲形文や三星文が描かれ、竹で包んだ木鞘に納められた仕込み杖になっている。
稲荷山遺跡の七星剣
千葉県成田市の稲荷山(とうかやま)遺跡にて筑波大学による発掘調査で、鉄剣の一部が発見された。
調査により象眼跡の北斗七星を確認、四天王寺伝来の七星剣との比較などにより七星剣の一部であるとして発表された。出典:Wikipedia
壺切御剣
【つぼきりのみつるぎ】
日本の皇太子(東宮)もしくは皇嗣に相伝される太刀。
壺切御剣は皇太子もしくは皇嗣に相伝される護り刀で、代々の立太子の際に天皇から授けられてきた。
別名は「壺切の御剣」「壺切太刀(つぼきりのたち)」。出典:Wikipedia
血吸 / 童子切
【ちすい】 / 【どうじきり】
平安時代の伯耆国の大原の刀工・安綱作の日本刀(太刀)。童子切安綱(どうじぎりやすつな)とも呼ばれる。日本の国宝に指定されている。
天下五剣の一つで、大包平と共に「日本刀の東西の両横綱」と称される最も優れた名刀とされている。
源頼光が丹波国大江山に住み着いた鬼・酒呑童子の首をこの太刀で斬り落としたという伝承から「童子切」の名がついた。出典:Wikipedia
騒速
【そはや】
日本の重要文化財に指定されている。平安時代の征夷大将軍としても高名な大納言坂上田村麻呂が大悲観音の霊験によって鈴鹿山の鬼神を退治したのち、騒速とその差添の計3口を同寺に奉納したと伝えられる。
3口の大刀をそれぞれ「一号大刀」「二号大刀」「三号大刀」と呼称している。出典:Wikipedia
黒漆剣
【こくしつけん】
坂上田村麻呂の佩刀と伝わる。
日本の重要文化財に指定されている。口承によれば、平安時代の征夷大将軍としても高名な大納言坂上田村麻呂が同寺に奉納したと伝えられる。
出典:Wikipedia
坂上宝剣
【さかのうえのたからのつるぎ】
日本の天皇に相伝される朝廷守護の宝剣。
田村将軍剣(たむらしょうぐんのつるぎ)、敦実親王剣(あつみしんのうのつるぎ)とも称される。
平安時代の征夷大将軍としても著名な大納言の坂上田村麻呂の御佩刀(みはかし)で、鎮国剣として皇室に相伝されると朝廷守護の宝剣や皇位継承の印と考えられた。出典:Wikipedia
蜈蚣切
【むかでぎり】
平安時代中期の貴族・武将、藤原秀郷が所用したと伝えられる太刀。蜈蚣切丸(むかできりまる)とも称される。
藤原秀郷が近江国三上山に住む蜈蚣(大百足)を退治した礼に龍神から送られた宝物の一つであると伝えられるもの。出典:Wikipedia
鬼切丸・鬼切安綱
【おにきりまる】【おにきりやすつな】
重要文化財で京都北野天満宮収蔵。
伊勢神宮に参拝した源頼光が夢の中で「子孫代々に伝え、天下を守るべし」と天照大神より鬼切を受け取った。頼光の手に渡ると、家臣である渡辺綱に貸し出され鬼の腕を切り落とした。また、源満仲が戸蔵山の鬼を切ったことから鬼切と名付けられた。出典:Wikipedia
鬼丸
【オニマル】
鎌倉時代に作られたとされる日本刀(太刀)である。皇室の私有財産(御物)であり、宮内庁侍従職が管理している。天下五剣の一つに数えられており、刀工名を付して鬼丸国綱(おにまるくにつな)とも呼ばれる。
不吉の太刀ともいわれる。出典:Wikipedia
妖刀 村正
【ヨウトウ ムラマサ】
村正は徳川家に仇をなす妖刀として広く知られています。
祖父(清康)、父(広忠)、息子(信康)が、村正によって被害を受けたので、徳川家に禁止された。
徳川家康の祖父清康と父広忠は、家臣の謀反によって殺害、その際に村正の刀が使われている。家康の息子信康が謀反の疑いで死罪となった際に切腹で介錯に使われたのが村正。出典:Wikipedia
以上、日本神話に登場する日本刀を一覧で紹介しました。 日本の神話や伝説には、数々の刀剣が登場します。これらは古代からの伝承で、その真実性は定かではありませんが、日本の刀剣は、その独特の美しさと鍛冶職人の高度な技術により、世界中から美術品としての注目を集めています。そんな魅力的で神秘的な日本刀が、多くの伝説を生み出してきたのかもしれません。
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