- 貝賀弥左衛門友信
【かいがやざえもんとものぶ】
役職:中小姓・蔵奉行
知行高:10両3人扶持
・吉田兼亮の弟
享年:54歳
討入部署:表門 - 杉野十平次次房
【すぎのじゅうへいじつぎふさ】
役職:札座横目
知行高:8両3人扶持
享年:28歳
討入部署:裏門 - 神崎与五郎則休
【かんざきよごろうのりやす】
役職:徒目付
知行高:5両3人扶持
享年:38歳
辞世:「余の星はよそ目づかひや天の川」
討入部署:表門 - 三村次郎左衛門包常
【みむらじろうざえもんかねつね】
役職:台所奉行・酒奉行
知行高:7石2人扶持
享年:37歳
討入部署:裏門 - 横川勘平宗利
【よこかわかんべいむねとし】
役職:徒目付
知行高:5両3人扶持
享年:37歳
辞世:「まてしばし死出の遅速はあらんともまつさきかけて道しるべせむ」
討入部署:表門 - 茅野和助常成
【かやのわすけつねなり】
役職:横目付
知行高:5両3人扶持
享年:37歳
辞世:「天の外はあらじな千種たに本さく野辺に枯るると思へは世や命咲野にかかる世や命」
討入部署:裏門 - 寺坂吉右衛門信行
【てらさかきちえもんのぶゆき】
役職:吉田兼亮の足軽
知行高:3両2分2人扶持
・足軽では唯一の参加者
・討ち入り時は38歳
享年:江戸で没享年83歳
討入部署:裏門
忠臣蔵とは
- 時代背景
元禄15年(1703年)1月30日、赤穂藩主・浅野長矩が江戸城内で高家旗本・吉良義央に刃傷に及んだ事件が発端。その後、浅野家はお取り潰しとなり、元家臣たちは主君の仇討ちを決意しました。 - 物語のあらすじ
大石良雄(内蔵助)を中心に47名の浪士が、1703年12月14日夜に吉良邸に討ち入り、義央を討ち果たします。彼らはその後、自首して切腹を命じられ、忠義と武士道の象徴として語り継がれました。 - 文化的意義
忠義を尽くす武士の精神は江戸時代以降、歌舞伎・浄瑠璃・小説など数多くの作品で取り上げられ、日本人の道徳観や絆の象徴として広く親しまれています。 - 現代への影響
映画やドラマ、舞台、アニメなど、多彩なメディアで何度も再構築され、海外でも「47 Ronin」として知られる物語です。
「赤穂浪士47士の行動は、武士の根幹である忠義を体現した一大叙事詩です。元禄の世に起きたこの事件は、その後の日本の文化芸術に多大な影響を与え、『忠臣蔵』という不朽の名作を生みました。歴史的事実と美しい物語性が交錯するその背景を知ることで、47人の浪士が果たした大義の重みをいっそう深く感じていただければ幸いです。」
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